[ブログ]【第8回 漢方歳時記・九月号 虫の音にこころを澄ます】
2025/08/19
真夏のジー、ジーとやかましい蝉の声。
とてもうるさいけれど、その鳴き声の力強さに、「ああ、夏だなあ」と感じさせられます。
しかし、いつのまにか、あの騒がしい蝉の音は聴かれなくなり、夜になるとどこか遠くで、リーン、リーンと鳴く虫の音に気づかされます。
その音は控えめで、耳をすこし澄ませてはじめて届いてくるような響きです。
秋の虫の音には、不思議な力を感じます。
日中の熱気がようやく引き、風の向きが変わり、空気が落ち着くころ。
街の騒がしさのなかにあっても、虫の音が耳に入るだけで、どこか季節が進んだことを体が感じ取るような気がします。
それはまさに、陽から陰への兆しです。
東洋医学では、耳は「腎」と関係が深いとされます。年齢とともに聴力が衰えるのは、腎のはたらきが弱くなるあらわれでもあります。
けれども、虫の音のようにかすかで繊細な響きは、耳が遠くなっても、かつての記憶とともに心に届いてくるような気がします。
立ち止まり、静かに呼吸を整えて、耳を澄ます。そこには、感覚を超えた“こころの静けさ”が生まれます。
昔の人たちは、虫の音を楽しむために「虫籠(むしかご)」を縁側や庭先に置き、風鈴の音とともに、暮らしのなかで自然の音を味わっていました。
現代の暮らしでは、自然の音に耳を傾ける機会が減ってしまいましたが、夕暮れの散歩の途中や、眠る前のひとときなど、少しだけ立ち止まって、虫の音に気づく時間を持ってみるのもよいのではないでしょうか。
虫の音は、こちらが静かになることでしか聴こえてきません。
それは、あわただしい日々のなかで少し立ち止まり、心に余白をつくることに似ています。
秋は、陽気がおさまり、陰気が増してくる季節です。心もまた、外へ向かう力から内へと向かう力へと切り替わっていきます。
虫の音に気づいたとき、私たちのからだもまた、静かに秋の養生へと向かっているのかもしれません。
そして、老いというものもまた、静かで味わい深いものであることを、そっと知らせてくれているように思うのです。