[ブログ] 1年を振り返って

2017/01/06

新年明けましておめでとうございます。
皆様のおかげで、峯クリニックは移転開業して一年間なんとか無事に診療を続けることができました。これまでの1年を振り返ると同時に、本年の展望を考えてみたいと思います。

12年前、旧峯クリニックを開院するにあたり、大阪、京都、神戸どこからも来やすい場所で、なおかつ都会の真ん中ではなくてホッとする場所がいいなと思って開業場所を探しました。院長は張り詰めた患者さんのこころと身体をふわっと緩めるところに現代人の治療の原点があると考えていました。京都線にのって車窓を眺めていると茨木を通過するときに視界が広がり、山の稜線が広がりこの場所がいいなと思いました。旧峯クリニックはビルの5階、山がよく見えるのであえて5階を選びました。
結果的に峯クリニックは訪れる人の隠れ家的な雰囲気で、狭いながらもここにくるとホッとするという空間となり、皆様に親しんでいただきました。

新しいクリニックの立地は、さらに患者さんがくつろげる場所を求めて茨木から吹田から高槻と半径を広げて場所を探しました。結果として灯台元暮らし、旧クリニックのすぐそばの新築のビルの二階になりました。

gaikan1今度のクリニックは2階ですが南向きで、日差しが常にあたり光にあふれた場所です。待合室は森のような空間を作りたいと思いました。たとえば仕事帰りの人が、診察を待っている間、喧騒を離れて、自分だけの静かな時間がおくれるようにと考えました。その思いは窓際に面してつくられたカウンター席になりました。森は作れませんでしたが、観葉植物を配置し、床材に吉野のヒノキをふんだんに使い、床暖房を採用して素足で入れるクリニックとしました。腰板の杉と珪藻土の塗り壁は、呼吸する壁で、実際の空間をさらに広く感じさせてくれます。クリニックの中に川も作りたかったのですが残念ながらこれはできませんでした。診察室も光にあふれ、晴れた日には冬でも暑いくらいです。診察室のベッドで時々患者さんが暖かさのあまりうたたねしておられるのを見るとき、このクリニックをつくってよかったなあとしみじみと思わせていただきました。

前のクリニックは待合室が狭く、込み合っているときには患者さんが立って待っておられることもしばしば、診察が終わって座ろうとすると席がないということもありました。そして一時間以上患者さんをお持たせすることもしばしばありました。そこで待合室を広くすると同時に、予約システムを導入し、待ち時間をできうる限り短くできるよう努力を続けています。

新しいクリニックで一番、変化したのは電子カルテの導入です。漢方の医者なので、作務衣を着て、処方箋を毛筆の手書きで書いて時代を逆行するのもいいかなと思っていたので、院長の心の中では一番大きな変革でした。実際、手書きができる電子カルテを探したものです。結果として今のハイブリッド社の電子カルテになりました。手書きをしなくてもいいように私の頭の中の処方をすべて入力することができました。また採血、検尿、心電図、エコー、レントゲンなど、医療機器のデーターがすべて電子カルテの中に保存され、何年前のデーターであっても瞬時に取り出せるようになりました。クリニックは患者様の健康生活のパートナーとしてともに年を重ねてゆきます。過去のデーターや診療記録が瞬時に取り出せて参照できることは診療を重ねる上でとても大きな安心を生み出します。また診察終了後から患者様の会計までの時間が短縮され、診察終了後の待ち時間を大幅に短くすることができました。こうして今では電子カルテはクリニックの診療の要となりました。

さて峯クリニックの標榜科は内科です。内科医であると同時に漢方医なので、漢方全科というように実際は、内科に限らず、婦人科、耳鼻咽喉科、小児科、整形外科、泌尿器科、皮膚科などあらゆる診療科の患者さんがこられます。

院長は漢方の専門医ですが、当然のことながら、患者さんを治すのに東洋も西洋もありません。日本の医師免許を持っている以上、医師の資格を持つものは、全員西洋医学を学んだ医師であり、その上でさらに漢方を学んだものが漢方の専門医となるわけです。

移転開業にあたり、峯クリニックは唯我独尊の漢方薬しか出さないクリニックではなく、洋の東西を問わず、患者様にとってもっとも利益のある医療をおこなうクリニックをめざすことにしました。そのため、心電図、超音波診断装置、レントゲン装置、骨密度の測定装置、さらには血球と炎症反応、血糖とHbA1cの迅速診断装置を備えリアルタイムでこれらの情報を得ることができるようになりました。また、本年度からスパイログラフィー、24時間の酸素飽和度の測定装置、24時間の心電図記録装置を導入しました。

ドライケムという一般の迅速診断装置よりもさらに早期にインフルエンザの診断が行える装置を導入し、マイコプラズマ、溶連菌、アデノウイルス、RSウイルスの迅速診断キットを備え西洋学的にも正確な診断ができるようになりました。。

 

平成29年度の抱負

midori01熱が出て患者さんがまず、訪れるのは町の開業医です。峯クリニックは、急性期の感染症に対しても対応できるクリニックでありたいと考えています。感染症に対する的確な診断と治療を今年の目標にしたいと思います。

患者さんに、『漢方はゆっくりじわじわ効いてくるものだと思っていましたけど、漢方には即効性もあるのですか?』と尋ねられることがあります。実は漢方の一番の得意分野は、感染症を主体とした急性疾患です。ただし、この分野での西洋医学の発展はすばらしく、東洋医学が今まで治せなかった患者さんの命をたくさん救っているのは厳然たる事実です。確かに、西洋医学は病原体を攻撃するのは得意なのです。しかし患者さんが本来持っている自然治癒力を引き出す知恵は東洋医学の中にこそたくさんあるのです。感染症においても西洋の知恵と東洋の知恵を合わせることによって、患者さんの治癒反応を高めた医療が可能なのです。

そもそも漢方の湯液治療の原典は今から1800年ほど前の漢の時代に書かれた傷寒論という急性の感染症の治療体系を示した書物なのです。日本の漢方治療はこの書物を原典として発展してきました。江戸時代までは日本の医学の中心は漢方医学だったのです。明治維新になり、明治政府は西洋医学を医学の基本として取り入れ、漢方を学んでも医師国家試験に合格できなくなりました。ところが西洋医学には診断学のすばらしい体系があっても、ひとりひとり個性をもつ人体の治療を体系つける医学が存在しませんでした。そこで帝国大学の俊英であった板倉武先生をフランスに派遣し、治療学の体系をもとめて留学させました。ところがフランスの指導教授は、日本には傷寒論というすばらしい治療体系の書物があるではないかと指摘したのです。板倉先生は温故知新を得たと帰国後そのことを報告しましたが、政府の方針にかなわず、左遷されてしまいました。傷寒論では病原体の強さや、患者の体質によって闘病反応が異なり、その状態や病気の経過によって治療を変える必要を指摘しています。さらに指摘だけにとどまらずその具体的な治療指示にまで言及している世界でも稀有の書物です。

患者さんの個体差まで考慮する医学は、現在進行形で発展していますが、未だに傷寒論を超える治療体系の書物はありません。板倉武先生はあまりに時代に先駆けすぎていていたのかもしれません。その後、日本の漢方は傷寒論の治療体系を慢性疾患にまで広げて研究を進めてきました。それは常に病人さんの全体をとらえ、病期や病邪の強さ、個々人のもつ治癒反応から目を離さず、その人にあった治療法を選択するということです。

抗生物質などの西洋薬の種類や量を、漢方的な立場でとらえなおし、それにあった漢方薬を選ぶことで、患者さんの治癒反応を最大限に引き出す治療ができるはずです。傷寒論を現代に生かす試みはいまだ発展途上、移転開業から一周年を向かえた峯クリニックはもう一度、傷寒論に立ち返り患者さんにとって最善の治療を追及していきたいと考えています。