[ブログ]第74回日本東洋医学会総会 その1

2024/05/28

第74回日本東洋医学会総会 その1

令和6年5月31日より6月2日まで、三谷和男会頭のもと、日本東洋医学会が大阪で開催されます。三谷和男先生のお父さんの三谷和合先生は、私の師匠であり、和男先生と私は兄弟弟子ということになります。その縁あって、今回私は副会頭としていろいろなプログラムを企画したので、私が拘わったプログラムを紹介いたします。

その1「車座講演・腹証奇覧・奇覧翼を読み解く」

患者さんのお腹を直接触って病態を察知し、処方診断の助けとする診断法を「腹診」といいます。江戸時代に描かれた腹証奇覧・奇覧翼は最も有名な腹診書で後世まで読み継がれている日本漢方の名著です。座長の峯は仲間の先生たちと2年かけてこの書を読み解きました。その成果を発表と言うより、語る会として企画しました。

以下にその抄録を紹介いたします。

 

 

「車座講演 腹証奇覧・奇覧翼を読み解く」

座長 峯尚志、山崎武俊

2013年鹿児島の総会で好評を博した車座が帰ってきました。

座長の峯尚志が、稲葉文礼(師匠)と和久田叔虎(弟子)の物語をなにわ風に語ります。

真面目で知性の高い弟子の叔虎が、読み書きもできない酒飲みの師匠の文礼を敬愛してやまなかったのかはなぜだったのか?車座講演では、まず腹証奇覧が生まれた時代背景を語り、次に二人の来歴をなにわ風に語り、そのあと文礼と叔虎の二人の腹診図を比べながらその秘密に迫ります。最後に腹診を未来へとつなぐ試みとして、呼吸や姿勢が腹証にどのように影響するのかを語ってまいります。

 

『車座講演 腹証奇覧・奇覧翼を読み解く』の題目

その1.腹証奇覧を生んだ時代背景を語る    (竹本喜典)

その2.腹証奇覧と奇覧翼はどのようにして生まれたのか

~師匠と弟子の物語を語る~       (峯尚志、酒谷勝)

その3.師匠と弟子の腹診図から読み解けるもの

~客観性と主観性、そこから導きだす普遍性~  

(峯尚志・紀優子)

その4.人体の解剖学的構造と生理的機能から腹証を考える

(村田昭人・紀優子)

 

その1. 腹証奇覧を生んだ時代背景を語る(竹本喜典) 

  

腹証奇覧は、寛政11年(1799年)江戸時代中期に産声を上げました。腹証奇覧を生んだ時代背景を遡ってみましょう。

まず難経系の腹診が、鎌倉末期から江戸初期にかけて鍼医や僧医によって発展し、腎間の動気、五臓六腑の配当を表現している書物が残されています。

湯液系の腹診図は、曲直瀬道三と息子・玄朔の合作であると思われる「百腹図説(1670)」が江戸時代初期に書かれたのが最初です。江戸中期に書かれた吉益東洞の「医断」に記載されている「腹は生あるの本 故に百病はこれに根ざす」という有名な言葉も、実はこの「百腹図説」に記載されています。実際に、腹証奇覧/翼の小柴胡湯と大柴胡湯の図が「百腹図説」の図と近似していることを近代の大塚敬節が指摘しています。江戸時代の古方派の腹診のルーツは、安土桃山時代に生きた、後世派の曲直瀬道三にまで遡ることができるかもしれません。

江戸時代中期、儒教の世界では『理』にかたよった朱子学から、 記号としての『名』と現実である 『物』を直接一致させようとする古学が盛んになり、論語などの経典に戻ろうという大きな潮流がおこりました。医師は儒者であることが多かったという素地の中で、この風潮は医学の世界にも及んで、思弁を廃して傷寒論に還れという古方派の台頭を招いたのです。こうして病人さんをありのままに捉えようとした古方派の腹診が大いに流行することになりました。この潮流は吉益東洞の親試実験の思想を生み、後藤艮山の「日用」山脇東洋が著した日本初の解剖書「蔵志」に繋がっていきます。観念的な臓腑論ではなく、現実の臓腑をみるという近代医学の夜明けにもつながっていきました。

 後世派や儒教の現実主義、古方派の台頭などの時代背景の中、腹証奇覧/翼は産声を上げました。江戸時代の腹診に関する著書は多く見られますが、秘伝として私塾で口伝していたこともあってか写本が多いように思われます。腹証奇覧/翼が広く流布した背景には、浮世絵の技術により可能となった木版2色刷りの版本であったこと、方剤ごとに表情も含めた全身の図解を示し解説を加えたことにより多くの医師が参考にする著書となったのだと思います。

現代人は古典の時代に生きた人々より複雑な腹証が存在するため、古典が必ずしも全てではありません。しかし、古典の中に今でも生き生きと触れることのできる凄みのある腹診のエッセンスを現代にどう活かしていくか、それを探求していくのがわたしたち現代に生きる者の使命であるように思います。

 

 

その2. 腹証奇覧と奇覧翼はどのようにして生まれたのか   

~師匠と弟子の物語を語る~        (峯尚志、酒谷勝)

 腹証奇覧・奇覧翼は、江戸時代に書かれたにもかかわらず、イラストで腹証を感覚的に理解させようとすることに努めた稀有な書物であり、また弟子が師匠の書物をもう一度書き直したという意味において、唯一無二な書物であると思います。古典の読み方として、その内容を考証学的に正確に読み取る読み方の他に、自分自身がその書物に入り込み、著者と共感したり時に対峙したりしながら、有機的にその書物の内容を理解する読み方があると思います。

 今回は、座長のひとりである峯が、書物を通して稲葉文礼や和久田叔虎と語り合いながら感じた文礼と叔虎の来歴をなにわ風に語ってまいります。

師匠の稲葉文礼は、飲んだくれのダメなオヤジでした。読み書きもできない彼にたった一人、医術を教えてくれた鶴泰栄先生から必死にその技を習得し、どん底にいる自分に似た患者さん達をただひたすらに診て、ひたむきに治した人でした。

 ひたすらに診て、診て、診尽くすことによって、腹証と湯液の処方構成のつながりを会得した分礼は筆をとってその感覚を書き残しました。

 一方、弟子の和久田叔虎は、しっかり学のある真面目な男でした。真面目であるが故に得ることのできないもの、それは天性の感覚的理解。師匠の文礼にあって自分にはないものです。知りたかったたくさんの感覚的理解からくる知恵と秘密を叔虎は、文礼から口伝されたのです。

 それから長い月日が過ぎて、本屋で開いた師匠の本は愕然とするくらい、口伝からかけ離れたものであったのです。その悲しみと怒りから、彼は2年の歳月をかけて腹証奇覧を輔翼する腹証奇覧翼を完成させました。イラストにも彼の生真面目さが出ています。なるべく正確に、師匠の言っていたことを反映させようとしています。けれども、興味深いことに呑んだくれの分礼が描いた、一筆で書かれた適当に見えるイラストの方が、真を持って腹証として迫ってくることが、読み解いていて何度もありました。

 この一対の書物は、師匠と弟子の愛の交換であり、証のようなものでもありながら、また反駁する二つの個性のぶつかり合いでもあります。師匠と弟子のあり様と互いに対する愛の軌跡の物語をまず、お聞きください。

 

その3. 師匠と弟子の腹診図から読み解けるもの       

~客観性と主観性、そこから導きだす普遍性~

(峯尚志・紀優子)

 ここでは、腹証奇覧、腹証奇覧翼の、師匠と弟子の同一処方の図説をいくつか併記して、それぞれの腹診図の違いについて解説していきます。

 例えば、最初に取り上げる処方は桂枝湯です。桂枝湯は何千何万と展開してゆく漢方処方のもととなる処方で、桂枝湯の構成生薬をひとつも含まない処方であっても、背景に桂枝湯の陰陽調和の思想が含まれています。桂枝湯は日本料理でいう『だし』のような存在だといえます。文礼も叔虎も桂枝湯から、その腹証を論じています。

わたしもわくわくして、まず、文礼の腹診図を見ました。するとちょっと情けない顔をしたおじさんが、足を組んで頼りなく座っています。そして右の上腹部に山型の黒塗りの図があるばかりです。解説文には拘攣ありとありますが、この黒塗りが拘攣なのでしょうか。私は途方にくれました。そして叔虎の腹診図に目をむけます。すると、腹直筋の拘攣や、腹部動悸の様子が見事に書かれています。気の上衝、腹力の虚、拘攣の程度が微であることなど解説文においても実に丁寧に桂枝湯の腹証や使用目標が分かるような体裁になっています。

 勉強会で腹証奇覧を取り入れようとしていた私は、叔虎と同じように文礼の絵に嫌悪感を覚えました。これはもう叔虎の奇覧翼だけを読めばいいのではないかと思いました。文礼の図をみたらかえって混乱するだけだ。ところが、そう思いながら読み進んでいるうちに文礼の絵がどうにも気になって頭から離れません。私はもう一度考えました。自分が実際に桂枝湯を出す患者さんはどんな患者さんだろう。すると、意外にも、、、、、、

これから先は当日のお楽しみといたします。このような感じでいくつかの処方を比較しながら文礼と叔虎のそれぞれの腹診図を読み解いてまいります。皆様方にも、文礼や叔虎になったつもりで、一緒に腹証を考えていただけたら幸いです。

現代にいる私たちは、腹証から何をつかみ取っていったらよいのか。

この二人の師匠と弟子の比較をしていくと、主観性とは何か、客観性とは何か、そしてそこから導き出される普遍性とは何かを深く考えさせられます。湯液処方に対する腹診のイメージをどう深めていくかについて、この二人が与えるインパクトは大きいものがあります。これから未来へと連綿と続く腹診への答えは、それを行うあなたの手の中にあります。

 

その4. 人体の解剖学的構造と生理的機能から腹証を考える 

(村田昭人・紀優子)

歴史の変遷を経ても、腹証を決定づける要素は変わらないと思います。

現代でもこの腹証奇覧・奇覧翼で出会った腹証に毎日のように出会うからです。脊椎を含めた骨格が個性をもって形作る姿勢と、臓器から発する筋性防御や、精神的な反応から端を発する呼吸の生理的機能の制限。にわとりが先か、卵が先かの理論になってしまうので、どれがまず原因と特定することはどの場合も不可能ですが、それらの複合的要素が絡み合って腹証という一つの表現型が作られます。 

当代きっての整体の名手、村田昭人とともに、腹証に至る前に、脊椎の生理的前弯・後弯がくずれる理由、骨盤の後傾前傾などの組み合わせ、生理的機能としての呼吸の成り立ちを、インナーマッスルを中心とした筋肉の仕組みから紐解きます。

小建中湯証の2本棒って結局何なのか?

大柴胡湯証の人のお腹って横隔膜はどうなっているのか?

柴胡桂枝乾姜湯証の人の胸郭は?肩甲骨の位置は?

補中益気湯証の人は、インナーマッスルのどこが抜けているのか?

八味丸証の人の正中線ってどうしてできるんだろう?

こんな素朴ななぜなにを皆様方にも参加してもらい、実演しながら紐解いていけたら幸いに存じます。どうかお楽しみに!

当日はエリマキトカゲなど歩き方のものまねを峯がするかもしれません。